序論 — なぜ、多くのDX投資は「ギャンブル」になってしまうのか

「高いシステムを入れたのに使われない」という悪夢
「我が社もDXを進めなければならない」。そう決意し、多額の予算を承認して最新のITツールやパッケージソフトを導入したり、検討している企業の経営者から、頻繁にこのようなボヤきを聞くことがあります。
- 「現場から『使いにくい』と不満が噴出している」
- 「結局、誰もシステムを使わず、以前と同じExcelや紙で仕事をしている」
- 「ベンダーに追加修正を頼もうとしたら、さらに数百万円の見積もりが来た」
これは特定の企業に限った話ではありません。多くの日本企業が、DX(デジタルトランスフォーメーション)を「魔法の杖(ツール)を買うこと」だと勘違いし、結果として高価な「置物」を社内に増やしてしまっています。
私たちは、企業の変革を支援する中で、こうした失敗を数多く見てきました。
本レポートでは、なぜ従来型の「ツール先行」のDXが失敗するのか、その構造的な原因を解き明かします。そ
して、その対案として、「市民開発(現場主導のシステム開発)」という手法が、いかに経営的なリスクを抑え、かつ組織の基礎体力を高める「賢い投資」であるかをご説明します。
これは、ITの専門知識がない経営者の方にこそ知っていただきたい、「組織と人」への投資のお話です。
第2章:DXの「あるある」失敗事例 — 経営リスクの視点から

2.1 「既製品の高級スーツ」に体を合わせてしまう
DXにおける最も典型的な失敗パターン、いわゆる「DXあるある」の一つが、「業務の実態とツールのミスマッチ」です。
多くの企業は、「業界シェアNo.1」や「多機能」を謳う高価なパッケージソフトやSaaSを導入しがちです。
これは例えるなら、サイズ調整のできない「高級な既製品のスーツ」を買うようなものです。
もし、その企業の業務フロー(体型)がそのスーツにシンデレラフィットすれば問題ありません。しかし、現実のビジネス現場には、創業以来培ってきた独自の商習慣や、現場ならではの「あうんの呼吸」、顧客への細やかな配慮といった、標準化できない複雑さが存在します。
既製品のツールを導入すると、現場では何が起きるでしょうか。
「システムに入力するためだけに、別の確認作業が必要になった」
「画面が複雑すぎて、入力に今の倍の時間がかかる」
「お客様の要望に対応するための備考欄がない」
といった事態が頻発します。
つまり、ツールが業務を助けるのではなく、「ツールという主人のために人間が合わせて業務する」という本末転倒な状況が強制されるのです。
結果として、現場はシステム入力を形だけ行い、実務は裏で紙や電話で回すという二重管理が発生し、生産性は劇的に低下します。
2.2 経営者が見落とす「見えない損失」と組織の疲弊
現場の実態に即さないツールの導入は、経営視点で見ると単なる「買い物の失敗」では済まされない、巨大なリスク要因となります。
- 投資の塩漬け(サンクコスト)の増大: 数百万円、時には数千万単位の予算を投じて導入したシステムが使われなければ、その投資は文字通り「ドブに捨てた」ことになります。さらに悪いことに、使われないシステムの保守運用費やライセンス料だけが毎年キャッシュフローを圧迫し続けるという「負債」化を招きます。
- シャドーITによるガバナンス崩壊: 「システムが使いにくいから」という理由で、現場の社員が自衛策として独自のExcelファイルや無料のクラウドサービスを勝手に使い始めます。これを「シャドーIT」と呼びます。データは各個人のパソコンに散逸し、経営層は正しい数字を把握できなくなり、重要な顧客情報がセキュリティリスクに晒されることになります。
- 組織への不信感とエンゲージメントの低下: 最も深刻なのは「心」の離反です。「経営層は現場の苦労を何もわかっていない」「また使えないおもちゃを押し付けてきた」という不満が現場に蓄積します。これが続くと、会社への信頼(エンゲージメント)が低下し、変革に対するアレルギー反応が組織全体に蔓延します。優秀な社員ほど、こうした非効率な環境に見切りをつけて去っていくリスクも高まります。
このように、「現場に則さないツール導入」は、金銭的な損失だけでなく、組織の活力そのものを奪うリスクを孕んでいるのです。
第3章:なぜ「市民開発」は失敗しにくいのか — 低リスク・中リターンの構造

3.1 「市民開発」とは何か? — 現場によるDIY
ここで提案するのが「市民開発」というアプローチです。難しそうな言葉ですが、要するに「現場の社員が、自分たちの手で、自分たちに必要な業務アプリを作る(DIYする)」ことです。
現在は「ノーコードツール」という技術が進化しており、プログラミング言語(コード)を書かなくても、パズルのように画面上の部品を組み合わせるだけで、誰でも簡単にアプリを作れるようになっています。
これは、家を建てるのに専門の大工(ITベンダー)に全て依頼するのではなく、棚や机くらいなら自分たちで日曜大工で作ってしまおう、という発想に似ています。
3.2 理由①:圧倒的な「安さ」と「スピード」によるリスクヘッジ
従来、システム開発を外部のITベンダーに依頼すると、要件定義から納品まで半年〜1年かかり、費用も数千万円規模になるのが普通でした。
これは経営判断として「絶対に失敗できない大博打」になってしまいます。一度作り始めたら、後戻りができないからです。
一方、市民開発は、すでにあるノーコードツールのライセンス料(月額数百円〜数千円/人)だけで始められ、外部への発注コストはかかりません。
まずは「交通費精算」や「日報」「備品管理」といった小さな業務から、たった数時間で作ってみる。もし失敗しても、作り直せばいいだけです。
損失は開発をチャレンジした数時間の工数のみで、金銭的リスクはほぼゼロです。
「小さく試して、ダメならすぐ直す。良ければ広げる」。このサイクルを高速で回せることこそが、変化の激しい現代において最も理にかなった、リスクを極小化する投資スタイルなのです。
3.3 理由②:現場が作るから「ハズさない」適合率100%のDX
市民開発の最大の強みは、「業務を一番よく知っている当事者が作る」という点に尽きます。
どんなに優秀な外部のエンジニアやコンサルタントでも、その企業の現場の空気感や、業務の細部に宿るニュアンス(例えば「この得意先にはこの項目が必須だ」「このタイミングで通知が来ると助かる」など)を完全に理解することは不可能です。
この「理解のズレ」が、使いにくいシステムを生む原因です。
しかし、現場の担当者自身が作り手であれば、翻訳のロスはゼロです。
自分たちが使いやすいように、かゆい所に手が届くようにカスタマイズしながら作るため、「導入したけど使いにくい」というミスマッチが原理的に起こりません。
まさに「地に足のついたDX」ができるのです。
現場の地面にしっかりと足がつき、実需に基づいたシステムであるため、確実に「使われる」システムになります。
3.4 理由③:外注費削減とブラックボックス化の解消による「自立」
システム運用において経営者と現場双方を悩ませるのが、ランニングコストと改修の遅さです。
ちょっとした修正、例えば「入力項目を一つ増やしたい」だけのために、いちいちベンダーに見積もりを取り、承認し、数週間待たされる……そんな経験はありませんか?
市民開発なら、その場で自分たちで直せます。開発費や改修費といった外注コストを劇的に削減できるだけでなく、システムの中身を社内の人間が把握できているため、ブラックボックス化を防ぐこともできます。 「ベンダーがいなければ何もできない会社」から、「自分たちでシステムをコントロールできる会社」へ。この自立こそが、長期的な経営の安定につながります。
第4章:ROI(費用対効果)を超えた価値 — 組織能力の向上

市民開発のメリットは、コスト削減や業務効率化だけではありません。経営者として真に注目すべきは、活動を通じて組織そのもののOSがアップデートされる点にあります。
4.1 業務の棚卸しとデータリテラシーの向上
現場が自らアプリを作ろうとすると、必ず「業務の棚卸し」が発生します。「このアプリにはどんなデータが必要か?」「そもそも、この承認ハンコは何のためにあるのか?」と考える過程で、これまでの習慣や惰性で続けていた無駄な業務が見直されるきっかけになります。
そして、アプリに入力された情報はすべて「デジタルデータ」として蓄積されます。
これまでは「なんとなく忙しい」「最近売上が悪い気がする」といった感覚知で語られていた現場が、「どの工程に時間がかかっているか」「どの商品の動きが鈍いか」を数字で語れる現場へと変貌します。
市民開発は、単にアプリを作るだけでなく、社員一人ひとりがデータに基づいて判断し、業務プロセスを論理的に再構築する「データドリブンな組織」への入り口となるのです。
4.2 「オーナビリティ(Ownability)」の獲得
市民開発がもたらす最大の価値は、従業員のマインドセットの劇的な変化です。私たちはこれを「オーナビリティ(Ownability)」という言葉で定義しています。
オーナビリティとは、以下の3つの要素を包括した概念です。
- 業務を変える力を持つこと(Capability): ツールを使いこなし、改善を実現するスキル。
- 業務そのものを変えること(Action): 誰かの指示を待つのではなく、自ら行動を起こして変化を生み出すこと。
- 業務のオーナーシップを持つこと(Ownership): 「会社から与えられた仕事」ではなく、「自分が責任を持ってコントロールしている仕事」という当事者意識を持つこと。
従来の組織では、現場は「決められたルールに従う」だけの存在でした。
しかし、オーナビリティを獲得した組織では、従業員は「自分たちの課題は、自分たちの手で解決できる」という自己効力感を持ちます。
この力こそが、予期せぬ市場の変化やトラブルに対しても、上からの指示を待たずに現場レベルで柔軟に対応・解決できる、レジリエンス(回復力)の高い組織を作る源泉となります。
第5章:成功へのロードマップ — ふえん式「ヒト・ツール・仕組み」

市民開発は強力な武器ですが、単にツールを渡して「あとは自由に」と丸投げすれば、無秩序なアプリが乱立する「野良アプリ問題」を引き起こし、失敗します。 成功のためには、「ふえん式」が提唱する3つの要素のバランス設計が不可欠です。
5.1 ツール:身の丈に合った武器を選ぶ
「大は小を兼ねる」の発想で、高機能すぎるツールを選ぶ必要はありません。現場のITリテラシーや解決したい課題の規模に合わせ、直感的に操作できる「身の丈に合った」ツールを選定することが重要です。現場が「これなら自分にもできそうだ」と思えるハードルの低さが、普及の鍵を握ります。
5.2 ヒト:スキルよりも「課題発見力」
市民開発において最も重要なのは、高度なITスキルではありません。「今の業務のどこにムダがあるか」「どうすればもっと良くなるか」を見つける「課題発見力」と、それを解決しようとする熱意です。
人材育成においては、ツールの操作研修だけでなく、「なぜ変革が必要なのか」を腹落ちさせ、小さな改善を称賛する文化作りが重要になります。
5.3 仕組み:経営・情シス・現場の三位一体によるガバナンス
最も重要なのが、この「仕組み(ガバナンス)」です。しかし、これは経営者が一人で書斎にこもって作るルールブックではありません。
- 経営層: 変革のビジョンを示し、「挑戦しても良い(失敗しても責めない)」という心理的安全性を保証する。
- 情報システム部門: セキュリティやデータ管理のプロとして、「ここまでは自由にやっていいが、ここからは相談が必要」というガードレール(安全柵)を設計し、技術的なサポートを行う。
- 現場: 実際の業務における使い勝手やニーズをフィードバックし、実効性のあるルール作りに参加する。
これら三者が連携しなくては、市民開発は「無法地帯」になるか、逆に「がんじがらめの規制」で窒息してしまいます。情報システム部門の専門的な知見と、現場の現実的な感覚、そして経営層のバックアップ。
この三位一体の協力体制があって初めて、アクセル(開発スピード)とブレーキ(安全性)が両立した、持続可能な変革の仕組みが完成します。
第6章:結論 — 大きなビジョンを持ち、最初の一歩は小さく
DXという言葉には、「会社全体を根底から作り変える」ような壮大な響きがあります。そのため、経営者はつい、最初から完璧な計画、大規模な投資、全社一斉の導入を目指してしまいがちです。しかし、それこそが失敗への入り口です。
どうか、「小さな成功体験(スモールウィン)」の力を信じてください。
まずは特定の部署、特定の業務、あるいは数人の熱意ある社員から始めてみるのです。
「紙の申請書をなくしたら、承認待ちの時間が3日から30分になった」
「毎日の面倒な集計作業がワンクリックで終わるようになった」。
経営視点から見れば些細に見えるかもしれないこの「小さな成功」が、現場にとっては革命的な出来事となります。
「自分たちの手で仕事が楽になった」という事実は、組織にポジティブな波紋を広げます。
「あそこの部署、なんか楽になったらしいよ」「うちの課でもやりたい」という声が自然と上がり始めた時、DXは「やらされるもの」から「やりたいもの」へと変わります。
その熱量はやがて組織全体に伝播し、誰も止めることのできない大きな変革のうねりとなります。
リスクを抑え、現場を強くし、社員がオーナーシップを持って働く組織へ。 「足のついたDX」への第一歩を、まずは小さなところから踏み出してみてください。








